イチロー、大リーグ通算2000安打を達成
イチロー、大リーグ通算2000安打を達成
米大リーグ・マリナーズのイチロー外野手(35)=本名・鈴木一朗(すずき・いちろう)=が6日(日本時間7日)、当地で行われたアスレチックス戦で、日本人選手として初となる、大リーグ通算2000安打を達成した。
2000安打まで残り1本としていたイチローは、一回の第1打席に右翼線二塁打を放った。日米通算では3278安打。イチローはこの日、4打数1安打で、大リーグ新記録の9年連続200安打に残り5本とした。
大リーグでの通算2000安打は過去に258人いるが、出場1402試合での達成は、1900年以降の近代大リーグでは、44年までプレーしたアル・シモンズ(1902〜56年、元アスレチックスなど)の1390試合(1924〜34年)に次ぎ、史上2番目の速さとなる。
イチローは2001年に日本プロ野球のオリックスから、ポスティングシステム(入札制度)でマリナーズに移籍。04年には262安打をマークし、大リーグのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新した。今季は4月16日に日米通算安打数を3086本とし、張本勲氏(元ロッテ)の持つ日本選手最多安打記録を塗りかえた。
日本よりも楽
イチローの話 節目ではありますけど、たどり着いたという感じでもない。試合数(大リーグは162試合)が多いですからね。日本で打つよりずっと楽だと思います。日本で2000本を打つのはすごいと思いますよ。
■大リーグ2000安打到達試合数
(1)アル・シモンズ 1390(1924〜34年)
(2)イチロー 1402(2001〜09年)
(3)ジョージ・シスラー 1414(1915〜26年)
イチローが大リーグ通算2000安打を達成し、スタンドに「おめでとう」のメッセージを掲げるファンたち
個人的に昔のイチローはクールすぎてあまり馴染めない感じで好きじゃなかったけど大リーグに行ってから
本当のイチローの姿を表せてくれたというか、一皮むけて大きくなったのか
結構本音で話してくれるようになったり無邪気な姿を見せてくれたりするイチローが好きになった。
矢沢永吉との対談もかなり良かった。
これから先どんな記録を狙って成し遂げてくれるのか楽しみだ!
だけど本当に精神的にも肉体的にも超人だよな。
凄い!
WBCでは胃潰瘍になったり打撃不振でももって生まれたスーパースターは最後にはヒーローになって
締めくくってくれたし、イチロー最高!
イチロー4年連続200本安打までもう秒読み状態
イチロー、メジャー通算2000安打達成! 2番目のスピード記録
(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉、1973年10月22日 - )は、シアトル・マリナーズに所属するプロ野球選手。ポジションは外野手(主に右翼手)。
日本プロ野球とメジャーリーグのシーズン最多安打記録を保持しており、驚異的にヒットを量産することから「安打製造機」と称される。
日本プロ野球
1991年 - 1993年
1991年、ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)に入団。1992年7月12日の福岡ダイエーホークス戦で木村恵二投手からライト前へプロ初安打を記録した。
1992年は.366の高打率でウエスタン・リーグの首位打者を獲得しながらも、土井監督や小川亨コーチなどの1軍首脳陣から振り子打法を否定され、足の速さを活かすようにと内野安打狙いのバッティングや山内一弘コーチ式の内角打ちを指示されるが、意見や指導が合わず、1軍に定着することはなかった。同年のジュニアオールスターでは同点の8回に代打決勝ホームランを放ち、MVPを獲得。賞金100万円を手にするが、全額を神戸市の養護施設に寄付した(2軍選手でこのことをしたのはイチローが初めてである)。
1992年と1993年でプレーしたウエスタン・リーグでは、2シーズンにまたがり46試合連続安打を記録(1シーズンでは30試合)。1993年のウエスタン・リーグでは打率.371を残したが、1軍半であったため規定打席に少し足りず、もし規定打席に達していれば首位打者になる可能性があった(1993年のウエスタン・リーグ首位打者の打率は.346)。同年オフにはハワイ・ウィンターリーグでヒロ・スターズというチームで優勝し、リーグ初のMVPに選ばれた。カウアイのヴィディンハ・フィールドで推定飛距離500フィート(152メートル)の本塁打を打ち、地元では「新幹線ホーマー」と呼ばれていた。
1993年、当時豪腕の名をほしいままにしていた野茂英雄からプロ初本塁打(1993年6月12日、長岡市悠久山野球場)を放ったものの、その日に2軍降格を言い渡されるなど2軍生活を余儀なくされていたイチローは、同年の秋に、河村健一郎2軍打撃コーチと二人三脚で日本時代のイチローの代名詞ともなる振り子打法を作り上げた。
2009年
2009 ワールド・ベースボール・クラシックに出場し、打撃不振に苦しむも、決勝戦で値千金の決勝打を放ち、日本代表の連覇に大きく貢献した。大会終了後はマリナーズに合流してオープン戦数試合に出場したが、極度の疲労により体調を崩し、4月3日に精密検査を受けた結果、胃に出血性の潰瘍が認められ、自身初の故障者リスト(DL)入りとなった。
4月15日のエンゼルス戦で、張本勲と並ぶ生涯通算安打の日本記録となる3085安打目を満塁本塁打で記録。同時に日米通算1000打点も達成した。当日は「ジャッキー・ロビンソン・デー(詳細はジャッキー・ロビンソンを参照)」だったこともあり、普段は背番号51のイチローも、この日だけは背番号を42に変更して出場した(なお、当日はイチローに限らず、選手や監督、コーチも背番号を42に変更して出場している)。
翌日4月16日には3086安打目をライト前に放ち、記録を更新した。